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2005年12月30日

山本理顕

Riken Yamamoto

COVER INTERVIEW 10 山本理顕 at 愛知淑徳大学


山本理顕(やまもとりけん)

1945年中国北京生まれ。1968年日本大学理工学部建築学科卒業。1971年東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修了後、東京大学生産技術研究所 原広司研究室研究生。1973年株式会社山本理顕設計工場設立。2002年から工学院大学工学部建築学科教授。

主な受賞に、
雑居ビルの上の住居「GAZEBO」「ROTUNDA」で日本建築学会作品賞(1988)「岩出山町立岩出山中学校」で毎日芸術賞、BCS賞、東北建築賞(1998)「埼玉県立大学」でグッドデザイン賞金賞(1999)、BCS賞(2000)、日本芸術院賞(2001)「広島市西消防署」でBCS賞(2001)「公立はこだて未来大学」で北海道建築賞(2001)、日本建築学会作品賞(2002),BCS賞(2002)など。

著書に、
『細胞都市』(INAX出版 1993)『住宅論』(住まいの図書館出版局 1993)『屈せざる者たち 辺見庸対話集』(朝日出版社 1996)『現代の建築家 山本理顕』(鹿島出版会 1997)『Riken Yamamoto』(Birkhauser/Switzeland 1999)『システムズ・ストラクチュアのディテール』(彰国社 2001)など。

現在、「邑楽町役場庁舎」、「公立はこだて未来大学 研究棟」、「東雲集合住宅 1街区」、「横須賀市美術館」など多数のプロジェクトが進行中。

※山本理顕設計工場ホームページ:http://www.riken-yamamoto.co.jp/


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          工場みたいなもんかなと思って、実際やってる作業がね。

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Flat:まず、名古屋についてどのような印象をお持ちですか?

山本:名古屋っていうとあまり印象は強くないですね。東京と大阪、関東文化圏と関西文化圏の間で、通過駅という印象ですね(笑)印象がないところが印象っていうかね(一同笑)タモリも名古屋っていうと喜んでいろんなネタにしていましたからね(一同笑)それが一番最初の印象ですね。

Flat:みなさんに聞いてるんですが、同じ様に「イメージがない」と言うのですが...

山本:なんでだろうね。もともと日本の、徳川家康だってね、織田信長もでしょ?みんなここから出てるでしょ?(一同笑)

Flat:そこしか売りがないっていう(笑)

山本:日本が近代化していく時に、関西と東京が中心になっていく、まぁ関西はもともと日本の中心だったけど。で、それ以外の場所は本当にノーマークになっちゃったんだよね。博多とかそれぞれ固有の文化は持っているんだけど、あるいは金沢とか萩とか。それは東京からあまりにも離れているからね。名古屋はなにか間にいて近いんでしょうね。だから固有の文化が見えにくいんでしょうね。

Flat:では建築をつくる上で風土や地域というものをどのように捉えていますか?

山本:それは一般的に言えば、こういうもんだとは非常に答えにくいですね。常に固有性のある場所に僕は建築をつくるわけですけども、建築をつくりはじめてその固有性、風土性っていうのは問題になると思うんです。だから一般的に建築をつくるときに、風土がどう問題になるかっていうのは一つ一つ違ってくるだろうからね、その場所によって。だから答えにくいですね。

Flat:では捉え方としては、避けては通れないと?

山本:もちろんそうですね。だけども、その都度その都度ちがうでしょ?例えば美術館つくれっていうときと、集合住宅つくれっていうときと、学校つくれっていうときとね、それぞれ空間に対する考え方は変わってくるはずだよね。そういうことでもあるし、同じ名古屋っていっても都市の真中につくるのと、もう少し離れた場所につくるのは全然ちがう話だろうし。単純に風土性というか地域性ていうのが、東京に対する周縁、地域っていう考え方はしないですね。ある普遍的なモデルがあって、それを実現していくときに東京から離れていくとちがう現れ方がするっていうのは、ありえないんじゃないかと思います。

Flat:プロフィールを見て北京の御出身だそうですが、理顕さんにとって北京という場所はどういう存在なのですか?なにかストーリーみたいなのがあれば....

山本:それは今の話と同じでね、僕は今、北京で集合住宅とオフィスのコンプレックスをつくってくださいって言われているんだよね。それで分譲なんですよ、住宅は。そうすると、どういう人たちに対して建築がつくられるかっていうのが問題になるわけじゃない?北京のお金持ちたちなんだよね。そういうものを買える人たちは。超大金持ち。彼らに対してどういうふうに消費意欲をもたせるかが、ディベロッパーの作戦なわけじゃない?それは日本のマンション業界も一緒なんだけどさ、とにかく消費意欲の刺激の仕方が日本と少しちがっていて、まぁモダニズムなんですよ。で、僕も徹底してモダニズムを要求されたっていうのはありますね。それは風土性っていうようなことなのかね、都市っていうようなそこらじゅうある共通の住み方になりつつあるものなのか、それはどっちかよく分からないけどね。都市っていうことを考えれば、北京も東京もそんなに大きなちがいはないと思います。

Flat:理顕さんはどのくらいまで北京にいらっしゃったのですか?大学の方は日本なんですが?

山本:いやいや、2歳ぐらいまでですよ。1945年生まれということは戦争が終わった年ですよ。だから全然記憶ないですよ。

Flat:北京で建築を建てるときに、特別なおもいなんかは....

山本:ないですね。

Flat:大抵の設計事務所は「設計事務所」と名づけるものですが、理顕さんの事務所は「設計工場」と名称されてますがなぜですか?

山本:あんまり深い理由はないですね。なんかこう「研究所」とかって嫌でさ(笑)恥ずかしいな〜みたいな。工場みたいなもんかなと思って、実際やってる作業がね。

Flat:作成する場であると。

山本:そうですね、実際つくっている場所だよと。

Flat:では工場長?

山本:工場長。(一同笑)


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        住み手が作り手じゃなくなっちゃったのは近代に入ってからでしょ。

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Flat:邑楽町の役場やはこだて未来大学のプロジェクトを本で勉強させていただいたんですが、つくるときのプロセスで特にコミュニケーションに重点を置いているとのことですが、僕ら学生の場合だとまだクライアントがいない段階なので、そういったコミュニケーションを学ぶためには今なにをすべきだと思いますか?

山本:先生がいるじゃないですか。だって、課題が出されるだろうし、友達もいるだろうし。そういう人たちと話するでしょう?課題やってるときの途中経過で。

Flat:その途中経過で先生または友人とそういったことをコミュニケーションしながら作成していく。

山本:しない?

Flat:してきますけど。

山本:そういうことと同じだと思うんだけど。

Flat:使う側の考え方で来ますかね?先生って。来るべきとは思いますけど。

山本:先生いろんなこと言うでしょ?

Flat:はい。

山本:それは住宅つくれば、使う人をある程度想定して言ったりする。ある場所の使われ方はどうかとか、環境がどうかとか。それは先生側の解釈ですよね。設計している学生側はその先生の固有の解釈と対話しているわけですよね。

Flat:僕のイメージだと先生は標準的なモデルをいってるような.....

山本:そういう人もいるかもしれないし、標準的なモデルかもしれないけど、それは先生の考える標準的なモデルなんだと思う。

Flat:そこは先生の言うことを聞くか聞かないかもまた自分の判断だと。

山本:もちろんそれは先生と話しながら。標準的なモデルみたいなのがあると思う先生もいるだろうし、先生の考えるモデルと学生側の考えるモデルとはちがうだろうし。あるいは標準的な答えなんかないと思うのかもしれないし。

Flat:やっぱり、いろんな人と話し合うといろんな意見が出てくるじゃないですか?それをまとめてくのは力のいることだと思うのですが、その力をつけるためにはどうしていけばいいのか?僕も思うのですが先生の意見を取り入れるべきなのか。なにが正しいのか。

山本:自分がどう思うのかっていうのを考えればいいんじゃないと思うけどね。僕は学生のとき先生としゃべっててもあんまり信用しなかったね(一同笑)でも、やっぱりおもしろいこといってる人もいるしね。最後は自分で判断する、そういう能力が必要なんじゃないの。

Flat:それは後々、力になっていきますか?

山本:それはわかんないけど、でもそうしないとつくれないでしょ?自分自身が判断しないと。コミュニケーションって自分がなに思っているかを伝えることでもあると思うんだよね。だから自分の考えていることを伝えるというのは最低の義務です。

Flat:東雲のプロジェクトで「SOHOが住宅を開く」と理顕さんはおっしゃってます。これは、以前までの住宅は閉じている存在だと、で、SOHOが入ると社会とのつながりが住宅の中に入ってくるわけだから当然開くということだったと思います。

一方で、SOHOが住宅に入るっていうことは住み手が変化しているというふうに考えていると思うのですが、「つくりながら考える 使いながらつくる」(山本理顕+山本理顕設計工場 著)の中で所員さんが言われた「個人が運営するHP」の話がありましたよね。多くの住み手っていうのは作り手に変化したい欲求があるのでしょうか?社会的な流れとして。

山本:作り手でしょう、多くの人たちは。

Flat:もうすでに?

山本:はい。

Flat:それはいつからだと思いますか?

山本:住み手が作り手じゃなくなっちゃったのは近代に入ってからでしょ。賃労働って給料を貰って。家帰ってくればなにもしなくて。会社で働いて、家はなにもしない場所って決めたのは20世紀に入ってからで、住宅なんてものができたためにそういう行動様式ができちゃったわけで、それまではみんな働いていたわけだ。家で。畑に入ったり。靴職人だったり、鞄作ったり。

Flat:衣食住が一緒だったと。

山本:そうそうそう、それが普通だったんだよね。

Flat:その辺のフラストレーションが溜まってて、個人の運営するHPがポツポツ出来てるということなんでしょうか?

山本:まぁ、 HPっていうのはまたちがう話なのかもしれないけどね。あれは開放区みたいなとこでさ、なんでもだれでも言えちゃうわけじゃない?2ちゃんねるなんてぐちゃぐちゃなとこでしょ?(一同笑)あれはもうコミュニケーションなどとは言えないと思いますね。あそこまで枠が広がっていくとなんでもありでしょ?

Flat:もう把握しきれない(笑)

山本:把握しきれないし、誰としゃべっても意味がないし。

Flat:もう、どちらかというとコミュニケーションじゃなくて情報だけですね。つながりじゃなくて情報が置いてあるだけ。

山本:自分たちでセレクトしないといけないね。しゃべったって、ほとんどどこに伝達されてるかわからないしね。悪口も言い放題だしね。だからコミュニケーションとはまた形式がちがうんじゃないですかね。今のインターネット時代。新しい出来事だね。

Flat:じゃあ最後の質問なんですが、今建築以外で興味をもっているものはなにかありますか?

山本:なにしてんだろ?建築以外で(一同笑)酒飲んでんなー(一同笑)......車運転するのは好きですね。必要に応じて乗ってるだけですけどね。

Flat:どんな車乗ってるんですか?

山本:アウディのA6というのに乗ってます。

Flat:おぉ〜。

インタビューを引き受けて下さった山本理顕さん、そして協力してくださいました清水裕二さんありがとうございました。

                    ※インタビュアー:松井健一郎  竹内亮輔





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